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CHAME GENTE -A História do Trio Elétrico
『シャメ・ジェンチ --トリオ・エレトリコ物語』(皆、集まって)

長編 ノンフィクション
58分 カラー 2002年作品
監督 : ミニ・カーティ

あらすじ : ブラジルのカーニバルではお馴染みの音響装置付きの大型トラック、トリオ・エレトリコの歴史を振り返る音楽ドキュメンタリー。1950年にバイーアで誕生したトリオ・エレトリコは、エリートだけが楽しめたカーニバルに大きな変革をもたらし、庶民にとっても身近な存在になった。そんなカーニバルの歴史を作った、そして今も作り続けている人々の思いを当時の貴重なライブ映像とともに綴る。ジルベルト・ジル、カエターノ・ヴェローゾをはじめブラジルを代表する大御所ミュージシャンの歌声が観るものの胸に力強く迫ってくる

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解説

別名「人寄せ音楽機」や「踊る拡声器車」呼ばれ、さらに「巡回カーニバル舞台」などとも呼ばれる。
ここまで比較的うまく説明できたと思う。
でも説明がくどいに違いない!!「あの」話はブラジル人の知恵の賜物。 いやそれ以上だ。「トリオ・エレットリコTrio Elétrico」の誕生だ!!

「あれ」は、ブラジルと呼ばれる国が発見されたのと同じ場所で発明された。バイーアだ。
52年前、カーニバルのとある日ごく普通の庶民で短い名前の人物(ドドゥとオズマールDudu e Osmar)が古い型のフォードに上って、道を通り過ぎながら聞きたい人にペルナンブーコ発祥のフレーヴォを演奏してみることにした。 ミュージシャンだった彼らは、自分達が楽しみたかったし、皆を楽しませたかった。
その瞬間、しかし、それだけでは終わらなかった。「トリオ・エレットリコ」と呼ばれるようになる代物が発明されていたのだ。

あの日から、「あれ」はどんどん進化していった。古い「おんぼろ車」(今は、どこかの博物館に保管されているに違いない)から、トラックの荷台に進化していった。
それからは独自の構造が創り上げられていった。当時のエリートがクラブで開いていたカーニバルに大きな変革をもたらし、路上と一般庶民に旋風をもたらした。 年を経るごとに混ざり合って、MPB(ブラジリアン・ポップス)に新ジャンルのミュージシャン達を登場させた。
庶民の美的感覚が独創的なものになった(だから、空間的にも含めて色んな形が作り上げられた)。
民族的、人種的そして社会的変化を振興し、今もなおその変化が反映されている。ブラジル国外に強い印象を与えた。
唯一独自かつブラジルの独創性に基づいた巨大産業を誕生させた。「トリオ・エレットリコ」は、多くの人々の人生を変化し、今もなお変化し続けている。

それは全部本当なのか?その物語は実際にそんなに重要で楽しいものなのか?答えは、イエスのようだ!少なくとも、ドキュメンタリー「シャメ・ジェンチ」の主人公のコメントであり、「トリオ・エレットリコ」の物語を作った、そして今も作り続けている人々のコメントである。
ドドゥ、オズマール、アルマジーニョ、ドリヴァル・カイーミ、ジルベルト・ジル、カエターノ・ヴェローゾ、モライス・モレイラ、ダニエラ・メルクリ、ルイス・カルダス、ヴォヴォ・ド・イレ、ベイビー・ド・ブラジル、ペペウ・ゴメス、イヴェッチ・サンガロとその他多くの仲間達だ。
庶民のコメントも、無論、この物語に欠かせない!


スタッフ

製作 : ドゥエット・フィルメス

脚本 : ラファエル・ドラガウド、キット・リベイロ、セルジオ・メクレール

監督 : ミニ・ケルティ

スチール : グスターヴォ・ハジバ、ドゥドゥ・ミランダ、イザベラ・フェルナンデス

編集 : セルジオ・メクレール、キット・リベイロ

プロデューサー : プレッタ・ジル、アウグスト・カセー、フローラ・ジル、ミニ・ケルティ

人物および映像考証 :
グスターヴォ・ノゲイラ、マヌエラ・ドゥーケ、モニカ・シルヴェイラ、マルタ・ロドリーゲス

ビデオ記録 : ゾーイ・アナスタスキー、ルジミラ・アイレス

監修 : メガ

スポンサー : テレマール/ ブラジル国立経済社会開発銀行