実績
1992年にミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテにてロック&ポップ・グループとして結成。リーダーであり、ギ
ター担当のジョン(John)はSexo Explicitoという人気バンドのメンバーであった。その後、ボーカル、ベース・ギター担当の日系3世、フェルナン
ダ・タカイ(Fernanda Takai)、ベースのヒカルド・カクトゥス(Ricardo Cactus)と共に、3人で「個性的でクリエイティブなバンド」を目指して活動を開始した。現在のドラム担当のシャンデ(Xande)は1995年に正
式メンバーとなった。
デビューはインディーズ・レーベルのコグメロ(Cogumelo)社から。
93年に発売した Rotomusic de Liquidificapumの売れ行きは決して良いとはいえなかったものの、大手BMG社の目に止まり、移籍。2年後の2作目 “ゴウ・デ・ケン”(Gol de Quem?:誰のゴール?)が爆発的にヒットし、全国ツアーやテレビ、ラジオで引っ張りだこなる。
オリジナル曲、“ソブレ・オ・テンポ”(Sobre o Tempo:時の中に)と“クアウケール・ボバージェン”(Qualquer Bobagem)は彼らの出世作。特に“クアウケール・ボバージェン”はMPBファンにはおなじみの「ムタンチス(Mutantes)」の30年前のヒッ ト曲のをカバーということもあり大ブレイクの大きな要因をつくった。
Pato Fuはよく、現代のムタンチス(すでに解散)と評される。男性二人に囲まれた女性ボーカルという構成はもちろん、どことなく曲調も似ている。
「甘く、切なく、かわいらしい」ボーカルのフェルナンダ・タカイ(Fernanda Takai)の魅力と、シンプルで、ノリのいい曲が人気の秘密だ。
1996年の3作目、 “テン・マス・アカボウ”(Tem Mas Acabou)、1998年の“テレヴィソン・デ・カショーロ”(Televisao de Cachorro)と着実にトップ・アーティストの地位を築く。
1999年のアルバム、“イゾポール”(Isopor)の中では“Made in Japan”という曲に日本語をとりいれて注目されたことは記憶に新しい。
最新作Ruido Rosaは13曲中8曲がロンドン・レコーディングで、彼らの最高傑作と言う呼び声も高い完成度の高いアルバムだ。80年代のブラジル・ロックを下敷きに、彼ら独自のスタイルを構築している。
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