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聴覚(Ouvir)
今から100年前の10月11日、ブラジルを代表するサンビスタ、カルトーラはリオデジャネイロに生まれました。サンバといえば、カーニヴァルを始め、世界に知られるブラジルのポピュラー音楽です。この音楽がブラジル社会に浸透していく過程を生きたカルトーラ。そのカルトーラを描いたドキュメンタリー、
『カルトーラ~サンビスタの物語』
について、ブラジル音楽のエキスパート、中原仁氏に語っていただきました。
(text: tupiniquim)
Tupiniquim(以下、T):
この作品を見てまず驚いたのは、カルトーラと交流のあったブラジル音楽界の大御所が次から次へとスクリーンに登場するところ。いかにカルトーラが愛されていたが分かりますよね。中には、今は亡き大スターの姿も見ることができて、嬉しい悲鳴の連続です。
中原仁氏(以下、N氏):
そう、この作品は、サンバを愛したカルトーラと、そのカルトーラを愛した人々の記録なんですね。丹念な調査と貴重映像に加え、カルトーラを知る多くの人々の証言インタビューを交えた、見ごたえのあるドキュメンタリーです。また並行してサンバ自体の歴史も描いています。特に、初めてレコード化された『ペロ・テレフォーニ(電話で)』を作者のドンガがシコ・ブアルキと一緒に歌う姿や、カルトーラの作品を歌うナラ・レオン、マンゲイラを通して親交の深かったベッチ・カルヴァーリョの姿、サンバ界の重鎮エルトン・メデイロス、作詞家でプロデューサーのネルソン・モッタ、映画監督のカカー・ヂエギスがカルトーラについて語るコメントなど、見逃せない場面が凝縮されています。
ナラ・レオン
シコ・ブアルキ
ベッチ・カルヴァーリョ
エルトン・メデイロス
ネルソン・モッタ
カカー・ヂエギス
(全て本編より)
T:
今、お話に出てきたマンゲイラですが、マンゲイラは、リオデジャネイロのカーニヴァルで過去に何度も優勝を飾る名門のサンバチームですよね。そしてそのマンゲイラを創設したのがカルトーラなのですよね。
マンゲイラの丘(モッホ)。
リオに点在するファヴェーラと
呼ばれるスラムの一つ。
N氏:
カルトーラが、盟友カルロス・カサーシャらと「エスタサォン・プリメイラ・ヂ・マンゲイラ」を作ったのが1928年のこと。マンゲイラは現存する最古のエスコーラ・ヂ・サンバ(サンバチーム)です。ただ、今ではサンバの巨匠としてその名を知られているカルトーラですが、1930年代から40年代にかけては、当時の大スターにいくつかの曲を提供したほかは、表舞台にはほとんど立つ機会がなかったようです。歌手として初めて『ケン・ミ・ヴェー・ソヒンド』をレコーディングする機会を得たのが1940年、32歳の時でした。それ以降、目立った音楽活動を行わない期間が20年ほども続きます。
撮影は実際にマンゲイラの
モッホでも行われた。
緑とピンクのマンゲイラの
シンボルカラー が印象的な
チーム旗の 前で歌うネルソン・
サルジェント。(本編より)
マンゲイラの丘にあるクアドラ。
ここで、サンバチームは
カーニヴァルに向けて練習を行う。
「ジカルトーラ」に集うミュージシャン、
エルトン・メデイロスやネルソン・
カヴァキーニョらを写した貴重な写真。
(本編より)
T:
意外ですよね。カルトーラの名が世に知られるようになったのには、ナラ・レオンがカルトーラの作品『日は昇る( O Sol Nacerá)』を歌ったことが一つの契機になったそうですね。
N氏:
そうです。ナラ・レオンがこの曲を録音したのは1963年。その頃カルトーラは、リオ のダウンタウン、カリオカ広場の近くに「ジカルトーラ」という名のレストランを開きました。この店にはネルソン・カヴァキーニョやパウリーニョ・ダ・ヴィオーラなどのサンビスタが多く集まり、サンバの歌と生演奏が流れる場所として、当時大変ポピュラーなスポットになっていったんだそうです。そしてここに通っていたのが、ボサノヴァを歌うことをやめて幅広いブラジル音楽に目覚めたナラ・レオン。あのアントニオ・カルロス・ジョビンもよく顔を出していたんだとか。
カルトーラの妻、ジカ夫人。
「ジカルトーラ」 は、夫人の“ジカ”と
“カルトーラ”をワンワードにして
命名された。(本編より)
T:
その様子を想像しただけでワクワクしますね。
N氏:
これを機に、当時ボサノヴァを聴いていた進歩的な学生やインテリ層がカルトーラの曲を聴くようになったそうです。こうして、サンバはリオのミドル・クラスに支えられてブラジル社会に浸透していきました。
T:
なるほど。リオのファヴェーラに住む黒人のあいだで生まれたサンバが、人種や階層を越えて聴かれるようになっていったんですね。今のお話を聞いて本映画祭のラインナップ作品
『ミゲルとジョルジ』
の中で、カルトーラの『ケン・ミ・ヴェー・ソヒンド』が印象的に使われているシーンを思い出しました。軍事政権下、政治犯として収監された学生たちが、自らを励ますように刑務 所内でこの曲を歌う場面です。音楽が唯一の心の拠り所として描かれるこの重要なシーンにカルトーラの曲が選ばれていることからも、いかに、カルトーラの曲が階層を越えて親しまれていたかが理解できます。また、その詞とメロディーが何とも切なく、このシーンは非常に心に残っています
N氏:
カルトーラがこれほどブラジル国民に、そして海を越えて日本でも愛されている理由はやはりそこにあるのでしょうね。愛や人生哲学について語る、素朴でありながらポエティックな詞と上品なメロディーのピュアな美しさは、国籍や言葉の壁など関係なく、聴き手の魂にストレートに響く力を持っていますから。
T:
本編には、カルトーラの名曲の数々が万遍なく挿入されているので、超貴重映像に加え、美しいメロディーを存分に聴けるのも嬉しいですね。中原仁さん、ありがとうございました!
トレーラーを見る
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中原氏のプロフィール
音楽・放送プロデューサー。放送20周年を迎えたブラジル音楽の番組「サウージ!サウダージ」(J-WAVE)などラジオ番組のプロデュース/選曲をはじ め、CDやコンサートのプロデュース/コーディネート、コンピレーションCDの監修/選曲、ステージ構成/演出を手がけ、ライター、DJ、MC、カル チャーセンター講師としても活動。情報満載の
ブログ(中原仁のCOTIDIANO)
も大好評!
参考文献・資料
『ブラジル映画祭2008公式プログラム』
に掲載の、中原仁氏の本作品に寄せられた解説本文。
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